先日、有給フル活用で4連休をとり、
「そうだ、京都行こう」
ということで、行ってきた。
風神雷神図屏風、実は3つあるの知ってますか?
建仁寺では俵屋宗達のものがあるが、私は過去に尾形光琳と酒井抱一のも見たことがあるので、それぞれの見た感想について述べていきたい。
俵屋宗達…オーラすごい。視線が不明確。雷神の太鼓が絵の外、ぽっかりと真ん中に空間が空いている。
→見る者に想像させることで、そこに無限の広がりをもたせる。(ミロのビーナス感がある)
尾形光琳 一番色鮮やか。バランスもいいが・・・なんだか「普通」。
酒井抱一 なんだかくねくねしている・・・?
少し「雑」な感じすらする。
ここから分かったこと。それは…
本物にしかないものがある。
ということだ。
言葉を失うほどの感動をもたらすものが、本物にはある、と。
逆にいうと、偽物、パクリ、贋作は本物には絶対に勝てないな、と。
むしろがっかりさせてしまうものがある。
そういえば、ノーベル賞を取った大村智が、こんなことを言っていた。
「人を超えることは絶対にできない。人まねでは。失敗を恐れるな。」
ここから分かることは、パクリでは結局大成しないということだ。
しかし。
しゅはりという言葉があるように、真似から初めて大成することがある。
学ぶの語源は真似ぶ、ともいう。
真似はあるレベルまではすべきだろう。
しかし、ある程度まで言ったら自分だけのオリジナルのものを作っていくべきだ。
そうして、本物になっていくのだろう。