(※写真と本文は関係ありません、さほど・・・)
後輩や部下がいる方に聞きたい。
- 彼らに対して怒りますか?
- 怒る場合、どのように怒りますか?
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今日の仕事は、授業メインではなく、雑務や営業メインの仕事であった。
その中で、部下の授業の監視、というか管理もある。
小学生の授業のときだ。
部下の1人が、生徒に向かって
怒鳴り散らしていた。
・・・
「えっ・・・?!(^^;; 」
・・・
冷や汗が出た。
その部下は授業後、怒った本人に対して特段フォローもしなかったようであったので、
これはマズいと思い、怒られた本人を個別に呼び、話を聞いた。
生徒本人から怒られた経緯を聞き、その上で私は、
「◯◯先生はね、君が騒ぐことで周りがとても迷惑になることを心配しているんだよ。
それに君もね、せっかく塾に来ているわけなのに、騒いでしまったら勉強ができないよね?
だから君の為にもならなくて、そのことも心配しているからこそ、〇〇先生は君のことを強く叱ったんだと思うよ。
分かってくれるかな?」
と、いうような形で生徒本人に飽くまで優しい感じのトーンで、諭すように語った。
本人は涙目になっていた。
ある程度のところ、分かってもらえたのかもしれない。
怒鳴り散らした部下にも話を聞いた。
「やっぱりなめられていると思うんです、僕は・・・。もうですね、本当にこの仕事が嫌になってきますよ・・・。」
そのように語る部下に対しては、まず方法として一度にガツンと叱るのもダメとは言えないけれど、名指しで細かく、諭すように叱ることもいいよとアドバイスをした。
それについて部下は「分かりました」と言っていた。やや不満そうではあったが。
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私も時々ガツンと怒鳴ったりしてしまうような時があるが、いつも後悔する。
なぜなら、そうしたところでむしろ反発されることも多いからだ。
そうしていつも北風と太陽の話を思い出す。
どうしても教師という仕事柄、生徒に対して、あるいはまた時には部下に対してさえ、「強制」という形で接することもないこともない。
ただ、教育者として生徒を、また先輩として部下を育成する立場としては、
本人たちが自立・自律して勉強、仕事をしていってもらうようにマネジメントをすることが、最も重要な責務だろう。
そうなると、それは「強制」というかたちはあり得ないと思う。
話を戻すと、怒鳴るという行為は「強制」を促すようなもので、完全に北風である。
そうではなく、本人の意志や自尊心を尊重した上で、個別に時間を設けて諭すように叱るという形は、太陽ではないかと思う。
もちろん、時には北風的な怒り方も大事かもしれない。
最も尊敬する教育者の1人である菊池省三も、生徒に対してあるシーンで怒鳴っていた。
つまるところ、バランスというか、ケーズバイケースと言えるかもしれない。
しかし菊池が怒鳴ったのは一瞬であり、その後は生徒たちに諭すように語りかけていたので、
その後のフォローはバッチリされていたのだ。
怒鳴る方も、怒鳴られる方も、気分が悪くなるのは当然だから、このような形でアフターフォローが必ず、必要になるのだろう。
怒ると言うことでもう一つ
尊敬する哲学者の芦田宏直のTwitter上での言葉を引用したい。
わざと怒ることが重要。どんなときにも本気で怒ったり、喧嘩しちゃダメ(笑)。 RT @michimotosatoh: ああ。でも僕なんか、そういうところは、まあいいかって思っちゃいますね。@jai_an RT まずくないよ。でも気分が悪い。 RT @michimotosatoh:
— 芦田宏直 (@jai_an) July 22, 2011
ここで詳しくは語られていないが、本気で怒ることで我を見失い、結果として自分の為に怒っていることとなり、本末転倒になるから、芦田はわざと怒ることが重要と語っているのではないだろうか。
また、芦田はこうも語っている。
いやー、40才以上では様にならない。私は組織内で本気で怒る(切れる)人間を何人も観てきましたが、笑えるほどさまにならない。RT @CHIHYA_P: だって大真面目にバカやれるいい大人がいなきゃ、世の中ツマラナイじゃないですか。 @HironaoAshida
— 芦田宏直 (@jai_an) March 21, 2010
四十にして惑わずと、論語にある。
私は今年で三十になったが、今のうちから怒りの感情をコントロールできるようにならねばと思う。
芦田がいうように、わざと怒ることでそれは時に発奮材料ともなりうるだろうから、それが仕事などの原動力にもなろう。
そして誰かを怒るようなときも、北風と太陽を忘れないようにしていきたい。