相変わらずスラムダンクにハマっている。
こんなにマンガにハマったのはいつぶりだろう? と思うくらいだ。
暇があればスラムダンクを読んでゴロゴロしていたい、という欲求すら生まれはじめている。
今は新装再編版の6巻目。つまり三井寿の巻。
三井のこの哀愁?漂う感ある顔つき、何かこちらに訴えかけてくるものがある。
この間であの名言が生まれる。
なにかって?
この二つだ。
- 最後まで・・・あきらめちゃいかん。あきらめたら試合終了だよ。
- 安西先生・・・・・・! バスケが・・・したいです・・・!
前者は三井が中3の時に僅差で相手に負けそうであきらめかけているとき、安西先生に話しかけられた時の台詞だ。
後者は三井が安西先生に久々の対面をしたときに、涙を流しながら語った台詞。
これらの台詞はスラダンを読む前から知っていたので、スラダンの中でも特に有名な台詞だ。
この台詞の部分を読んだときはさすがに感動した。
ここか! と。
そういう風に「再会」できるのはいいものだ。
スラダンはバスケマンガというだけでなく、人生ドラマとしても「濃い」ものがあってとても読み応えがある。
体育館で三井たちと桜木たちが喧嘩をしている所に教師たちが入ってきて彼らに説明を求める所で、桜木の同志の水戸洋平がうまーーーーくごまかし、桜木たちバスケ部を全員かばうというところがある。
これがすごい。
水戸は、三井なんかと全く接点ないのみ、「僕らのグループから三井くんが抜けてバスケ部に入るっていうから、僕がバスケ部に殴り込みに来てしまったんです。」と教師たちに説明してのけたのだ。
これが素晴らしい。
レヴィナス(仏哲学者 1906〜1995)の用語に「身代わり」があるが、主体(自分自身のこと)が他者の身代わりになることによって主体の生きる意味が生まれる、と語る。
水戸は、あの一言によってその場にいる全ての人の身代わりになり、全ての罪を背負った。
マンガの世界では水戸はその後特段賞賛された訳ではなかったが、私の中では今までスラダンを6巻まで読んできて、最も感動したシーンが、ここの水戸のシーンだ。
彼はその場の全員をかばったことで、読者である私の中ではあまりに強い存在感を得た。
まさかスラムダンクにこれほどまでにレヴィナス的要素が多いとは思わなかった。
またこのBlogで報告していきたい。