私のことです。
男の子が読むべき金字塔的なマンガはいくつかある。
ひとまずこのあたりではないだろうか。
私は上にあげた4つのマンガのうちスラムダンク以外は読んできた(ワンピとハンターは途中で読むのを辞めたが)。
しかし、今になって急にスラムダンクを読みたくなってきた。
なぜだか分からないけれど、これを読んでいないことで何か男として非常に大きいものが欠損してしまっているのではないか? と、ある時思ったからだ。
作者の井上雄彦氏自身のことは昔から興味を持っていて、プロフェッショナル仕事の流儀にはそのストイックさに感動した。
プロフェッショナル 仕事の流儀 スペシャル 「漫画家 井上雄彦の仕事の螺旋、いまだ終わらず」
Twitterでも井上氏に一度絡んだことがあり、その際私のツイートを公式リツイートされ、大きな衝撃を受けた。
氏のマンガを読んだことないのに、氏にTwitterで絡み、氏にRetweetされたなんてひと、ほとんど存在しないんじゃないかな笑
そんな井上氏のスラダンを、新装版がでたいま、これを機会に読んでいる。
いやぁ、、、、面白いですね!
何が面白いって、登場人物がみんな個性的でキャラが立っていて、ギャグ要素もあれば恋愛的要素、そして努力論もあり、つまり料理のフルコース的なマンガなのだ。
それだけでなく、スラダンはキャラの「顔」の迫力がいい。
台詞を最小限にし、「顔」で語らせているところがある。
桜木花道のヤンキー友達の一人(名前わすれた)が、教師に問いつめられた時、余裕な雰囲気で柔らかくも鋭いような顔つき、目つきで教師を睨みつけるシーンがあるのだが、それがとてもいい。
また、花道が柔道部の主将に勧誘を断る際に「オレはバスケットマンだからだ」と返答するシーンがあるのだが、その際の主将とゴリ(バスケ部の主将である赤木)の「ハッ」とした顔つきが、いい。
この二つのシーンは、語らずに「語る」シーンなのだ。顔で。
このようなシーン、私が今まで読んだマンガにはなかった。
いや、あったか。
佐藤秀峰氏のブラックジャックによろしくに似たようなシーンはあった。
「語らずに語る」描写、非常に引きつけられる。
その際の登場人物の心理はこちらで想像して創造しなければいけないから、無限の可能性がある。
だからこそ、「語らずして語る」という描写は、小説や絵画に近いものがある。
エマニュエル・レヴィナスのフランス哲学者(1906〜1995)の用語に「顔」(visage
)がある。
レヴィナスは他者(autre,autrui)の顔(visage)を目の前にすると、無関心でいられない(non-indifférence)状態になり、それが結果として有責性(Responsabilité)が生ずることで、結果としてそれが生きる意味と語っている。
私もスラダンの登場人物の「顔」(顔つき)に魅了され、結果的にスラダンには読む前よりも惹かれてれしまった。
それはスラダンが自分にとって無関心でいられない(non-indifférence)ものになってしまったからだ。
ではそこに有責性(Responsabilité)があるかといえば、私自身もよく分からないけれど、いまこうしてスラダンについてのブログを書いているのは、スラダンの素晴らしさをどうしても伝えたいっ! と思ったからだ。
まとめると、スラダンの登場人物の「顔」には何か他のマンガとは別次元の「チカラ」がある。
まだ3巻までしか読んでいないけれど、今後も楽しみだ。
P.S.
全巻読破しました。
選手目線だけでなく、指導者目線もあって、子供だけでなく大人も楽しめることが、この漫画の面白さだと、改めて思い知らされました。
安西先生は、偉大だ。