最近は特別なケースを除いて、基本的に敬語で話をする。
それは、相手が小・中学生でも同じだ。
ふざけるときはふざけてタメ口になったりはするが、基本、敬語だ。
なぜそうしているかというと、ある著名な教育者から大変に大きな影響を受けたということもあるのだけれど、きっかけは小池一夫氏のツイートだ。
確かこんなツイートだった。
「最後に人と人を繋ぎ止めるのは、愛情でも友情でもない。それは敬意である。情ではない。」
このツイートを読んでハッとしたその時を、今でも鮮明に記憶している。
それから発展させて、人に対して「お前」というのを完全にやめようと、今日決心した。
特になにがあったわけではないが、「お前」というのは相手に対して少なくとも「敬意」を持っていないことは明白だろう。
そればかりか、相手に対して投げやりな形で、雑で、吐き捨てるような雰囲気すらある。
また、捉え方によってはケンカを売られているようにも思う。
今まで、特に親しい人や生徒に対しては「お前」「お前ら」といってしまいがちだったが、それを心から反省し、完全にやめるよう努力していきたい。
努力。
「お前」「お前ら」と言うのが癖になっているからこそ、努力が否が応でも必要になるだろう。
私が大変尊敬してやまない内田樹先生は以前ラジオで以下のようなことを語った。
それは、ある著名な高校の先生のことについて言及したのだ。
その先生は自分の生徒たちに向かって「お前ら」などと呼ぶことを引き合いに出して、内田先生はこう語った。
「自尊感情や自己肯定感の低い大学生や若い人がいま、大変多いんですよね…。ホントさ、小中高の先生方って、なにやってるんだろう…と思うんですよ。」
このコメントを聞いた時、大変衝撃を受け、同時に反省した記憶がある。
しかし、それは一時的に反省しただけで、その後忘れ去ってしまった。
そのことを最近になってまた思い出した。
敬愛する内田樹がこう言うのだし、また氏とは別に尊敬する小学校の教諭も生徒を「さん、君」付で呼び、決して偉そうではない雰囲気なので、なおさら身の引き締まる思いがした。
そのため、今後は完全に「お前」「お前ら」という言葉遣いをしないようにすると、このブログで宣言したい。