先月からずっと左半身、特に左手に力が入らない。
最近はやっと左手も回復してきたけど、力を「ぐっ」といれると肩とか肘が「きゅっ」と痛くなる。
だから重いものは左手じゃ持てないし、クルマの運転も、基本右手でやるからいいんだけど、バック駐車とか、左手が必要になるときはなかなかしんどいんだ。
それと並行して、身体がだるい。
昨日はいつもよりも歩くことが多く、家に帰ってきたときにはへとへとで、アタマもガンガン痛かった。
困ったなぁ。。
なんでこうなっちゃったのかなぁ。。。
・・・。
やっぱり、左半身のこともあるけど、ちゃんと汗を流す運動ができていないからかもなぁ。
「疲れることをしないと、身体が疲れやすくなる。」みたいな。
逆説的だけど。
うーん、多分やっぱりそういうことなんじゃないかなぁ。
ハッキリ言って、身体が衰えているんだな、こりゃ。
鍛え直せば、きっと身体も強くなるんじゃないかな。
身体を動かせば、「常にだるい」から抜け出せる気がする。
だるいから、気分もなんだか落ち込み気味だ。
そんなときでも、内田樹先生の本を読みたい欲求と、今みたいにBlog書きたい欲求はとてつもなく、ある。
こんな絶不調のときでさえもやりたいこと、やらずにはおけないことというものこそが、自分自身の人生の鍵を握っていることは、きっと間違いないんじゃないかなぁ、とも思う。
そんなことはいいとして、あることをふと考えた。
一人暮らしは危険だ。
と。
理由は、外では他者と接触して孤独ではないかもしれないけれど、生活をともにする人がいないからだ。
その点は自由なのだが、自由過ぎて生活が乱れて、体調を崩しやすいとも言える。
しかも、体調を崩したところで看病してくれる人がいない。
これだ。
これが、ものすごくでかい。
以前、内田樹先生の本を読んで、こんなことが書いてあった。
人間が家族を形成するのは、一人より複数人といた方が楽しいからではない。そうではなく、病めるときに看病してくれて、お互いを支え合うことができるからなのだ。
引用は正確じゃないけれど、おおかたこのようなことを言っていたと記憶している。
この言葉がいま、痛いほど身にしみている。
僕は先週、ちょっとした休みがあったので、名古屋の彼女の家に一週間ほど居候してた。
居候というと聞こえがいいが、要するにヒモ生活をしていた。
それで、また昨日から一人暮らしに戻ったのだが、改めて思う。
一人暮らしは危険だ。
と。
自由なのはいいが、自由過ぎてあかんよ、本当に。
どこかやっぱりね、周囲の目というか、他者がいないと生きられないっすよ。
そんなことをひしひしと感じる。
極端な話、一人暮らしは生きるのも死ぬのも自由な空気感がある。
僕は今まで自由が大好きで自由をずっと求めてたけど、自由はひょっとすると死に近いものかもしれないと思った。
これは怖い。
というのは、私は死ぬのが怖いからだ。
できることなら2112年9月3日までは生きたい(ドラえもんの誕生日だから)。
自由とは、それ自体が過剰だと死神をも召還しかねない、と思ったのだ。