「君の名は。」ほどではないが、話題となっている岩井俊二原作のこの作品を映画館で見に行った。
映画自体私はほとんど見に行くことがなく、5年ほど前に友人に連れられて見に行った仮面ライダーフォーゼ?の映画くらいだ。
しかし、今回見に行って本当によかった、と思った。
その「感動」をここに記す。
目次
映画とは「体験」だ
まず、何と言っても映画館は音がいい。
これは映画に行く前から分かっていたが、それでもやはり圧倒されるところがある。
家で見たりPCで見るのとは違い、サラウンドで、様々な方向から登場人物の声が聞こえたり、音の迫力を映画館の広さでもって体験することができるのだ。
そうだ、映画を見に行くということは、ただ単に「見る」のではなく、「体験する」ということなのだ。
そんなことを思い知らされた感があった。
それと、映画の際はスマホを使うことができず、また巻き戻しもできないため、目の前の映画に集中できる。
それは、目の前で演劇、ライブがいままさに進行しているかのごとくの緊張感にも似ているので、その分作品が頭に残る。
その意味でも、映画とは「体験」なのだと思うのだ。
「打ち上げ花火ー」の恐るべき影響力
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、一言で言うとパラレル・ワールドの世界を表現した、青春甘ずっぱい映画だ。
物語はヒロインが偶然海で拾ったガラス玉を中心として動いていく。
主人公の男子が、そのガラス玉を映画のなかで「この現実を訂正したい!」というときにそれを活用する。
「君の名は。」を見たことはないが、おそらく「君の名は。」に影響を受けてのものなのだろう。
・・・いや、この「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は1993年の作品だから、逆なのかもしれない。
ともあれ、映像がとても美しく、その点は「君の名は」の影響を受けているのではないかと思う。
また、ハッと思われたのは、舞台が海辺の地域(おそらく鎌倉か、静岡の御前崎辺りを意識している気がするが)なのだが、その地域の形がなんだが崖の上のポニョの地域の形に似ているのだ。
更に、物語のクライマックスで、主人公とヒロインが電車にたった二人で乗っているシーンがあり、そのときその電車は海の上を走っているのだが、このシーンを見て、千と千尋を想起した。
繰り返すが、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、1993年の作品なので、寧ろ宮崎駿がこの作品から影響を受けたのかもしれない。
だとしたら、「打ち上げ花火ー」は、映画史上とても影響力を発揮している作品とも言える。
というのも、千と千尋は、21世紀の偉大な映画100の中で、なんと4位に食い込んでいるからこそだ。*1
映画を見ていて、「あ、このシーン、他の作品でも同じようなシーンがあったかも!」と思い立つ瞬間は、なんだか誰もまだ見つけていないお宝を見つけた気分で、それは何とも気持ちがいい。
ちなみに、「打ち上げ花火ー」は何と1999年に実写化していた!
こちらも気になる作品だが、レビューを見る感じだと、面白そうだ。
確かにそういえば今回見た「打ち上げ花火ー」にはスマホもPCも出てきておらず、時代の感じからして「今」じゃなくてもいいな、とは思った。
プロダクト・プレースメントの多様
「打ち上げ花火ー」にはたくさんになじみ深い商品、あるいは看板が登場する。
それは親近感を持たせるためというより、スポンサーの意向(売上をあげるため)が働いているように思える。
私が映画を見ていて感じたのは以下のプロダクトだ。
特に引っかかったのは、小岩井純水リンゴの登場だ。
これを主人公の友人であり恋のライバルが主人公の家で90年代的なファミコンのゲームをしながら飲んでいる。主人公の家のものなのに。
飲んでいるところを主人公が見て、
「あ、それ古いヤツだよ!」
といった途端、友人が「ブブファーーー!!!!」と、吹いてしまうシーンがあるのだが、私は見ていて
「このシーン、意外と深いな。」
と思った。
というのも、この映画の原作は岩井俊二だ。
岩井。
主人公の飲んだジュースは、小岩井純水リンゴだ。
小岩井。
そして、友人はそれを飲んで吹く。
これは、何か強い意図が隠れているに違いない、と思わせるシーンだ。
どんな意図があるかは最後まで分からなかったが、映画を見ている客にこうも考えさせるちょいとした工夫を入れてくるところ、非常に面白く、細かいところまで行き届いている映画だな、と思い知らされる。
エンドロール
エンドロールを見ていたら、「ロックウェルアイズ」という会社?企業?の名前が流れてきた。
ロックウェルアイズ?
なんだこれ?
も、も、もしや・・・
ロック = rock = 岩。
ウェル = well = 井戸。
アイズ = I's = 「い」から始まる人たちの集まり。
明らかに岩井俊二の一味(そんな一味があるのか知らないが)だとわかる。
こういう発見ができるところも面白いところで、エンドロールを見る楽しさである。
また、最後の方で、やはりというか、ローソンのクレジットが流れてきた。
主人公のお店の中にローソンの看板があったからだ。
筆頭のスポンサーの看板を、主人公のお店に置くとは、これまた「大人の」戦略だな、と思い知らされる。
この映画を見ていると、いや、どの映画を見ていてもそうかもしれないが、映画を見ている人たちはふつう、主人公と自分を重ね合わせる。
つまり、主人公=自分 と化するのだ。
そんな自分の店にローソンの看板があったら、それは自分たち家族の所有物であり、大切なものだと錯覚する。
ちなみにこれは予想だが、主人公の家はもともと自営業の雑貨屋か駄菓子屋かなにかで、お父さんの代からローソンのフランチャイズを始めて、2階建ての一階部分で、昔ながらの駄菓子屋的雰囲気を出しながらローソンをやっているのではないかと思う。
そんな家庭なので、ローソンという看板は重要だ。
自分たちの売っている商品、または自分たちの知名度だけでは弱いので、全国2位の強さを誇るローソンの名前を借りて経営をしているからこそ、ローソンの看板は大事だ。
ゆえに、映画を見ている人たちはローソンに自然と親近感を覚え、映画を見終わり、映画館を出たあと、なんとなく、本当になんとなく、自然とローソンに脚を運ぶことになるのだ。もっと近くにセブンがあるのに。
理由は、「いや、今日はなんとなく、気分でローソンに行きたいんだ。」とあなたは答えるだろう。
いや、それは「なんとなく」ではない。
れっきとした「プロダクト・プレースメント」という、昔から広告業界においてテクニックの一つとして利用されている技にひっかかっているのだ。
結論
「打ち上げ花火ー」はとても面白く、見応えのある映画だったと、心の底から私は思った。
ただ、上記したように、プロダクト・プレースメントがちょいちょいあり、それが気になった。
自分のオトナなダークさなのかもしれないが、なんだかそこに商業主義、広告業界からのワナが仕掛けられているように感じたが、その点を踏まえても良い映画だったと思う。
しかしながら、もう一度見たいとは思わない。
「君の名は。」は、その映画の複雑怪奇さ、分かりにくさから、リピーターが沢山誕生し、結果として人気を誇ったのかもしれないが、「打ち上げ花火ー」は、パラレル・ワールドがあって分かりづらいところもあることはあるが、基本はシンプルで分かりやすい内容だ。映画のラスト・シーンは見る者を深く考えさせる終わり方ではあったが。
いずれにせよ、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」、見に行ってよかった。
映画に携わった人すべてへ「ありがとう」と伝えたい。