ここ数日、カミナリに本当にハマっていて、同じ漫才を何度も聞いては爆笑している。
普通、同じ漫才を2度聞くと飽きるものだし、流れも分かっているのだけれど、それでも笑ってしまう。
なんなんだ、カミナリの持つこの不思議な力は。
考えてみた。
目次
緩和と緊張の使い分け
先ず、彼らの漫才は非常にメリハリがあり、緊張と緩和がはっきりと現れている。
見ていて飽きないのは、左のまなぶくんがゆる〜いテンションで妙なことを話していて、たくみくんもそれについて最初はフンフン聞いていて、全体的にゆる〜い和やかな、でも「・・・なんだかおかしくないか?笑」という空気を出している。
話の内容ばかりか、ズーズー弁がまた、雰囲気をゆる〜く、和やかなものにしている。
そこであるとき途端、ダムが決壊する。
そうだ、たくみくんがまなぶくんを思いっきりひっぱたくのだ。
そして、緩いしゃべりを展開していたたくみくんはまなぶくんに「そういえばおめぇ、◯◯だなっ!!!!」と怒鳴る。
ここで一気に緊張感が増すというか、漫才の見せ場が到来する。
つまり彼らの漫才は緩和と緊張をうまく使い分けているのだ。
緊張と緩和ではない、緩和と緊張だ。
こういった王道に乗っているからこそ、彼らは去年M−1の決勝にまで上り詰めたのだろう。
ズーズー弁の醸し出す家庭感
今まで漫才コンビでズーズー弁を使ってきたのはU字工事くらいで、ほとんど前例がない。
そういった新規性、奇抜性が彼らを注目させ、面白くさせている要因となっていることも一つあげられようが、それ以上にズーズー弁は、一種の親和性をその空間にもたらすものだと考えている。
ズーズー弁でまなぶくんとたくみくんが話を繰り広げるとき、そこの空気はただの二人の人間が話している空間ではなく、ほとんど家族に近い関係のもの同士の、非常にウェットな関係が生まれ、場の空気が生ぬるいような感じで湿り出すのだ。
私はカミナリの漫才を見たとき、まるで一般家庭内におけるお母さんと息子との他愛もない会話、或いは親子ゲンカようにも聞こえた。或いは自分自身が息子のポジションになったかのような錯覚を覚えた。そしてそのような錯覚は、おそらく多くの日本人が覚えることだ。
親子ゲンカをしたことがない人はおそらく皆無に等しいだろう。
その親子ゲンカを舞台でまるで再現されたようなもので、漫才で話した内容に笑ったことだけでなく、その空気感、例えばたくみくんがまなぶくんに対して「…バカッこの!!!!」とぼそっと注意するその様子、空気感が、まるで家庭におけるお母さんからの注意を、人々は想起するのだ。
この喋った内容だけでなく、空気感から自分自身の家庭を連想をさせるところに、カミナリの面白さがある。
最後に
以上、カミナリがなぜこんなにも面白いのか? を考察してきた。
他にも考察点は今後も見つかるかとは思うが、見つかった場合は、カミナリがより面白くなって進化している証拠でもあろう。
そして私はカミナリが今年のM−1を獲るのではないかと本気で思っている。
獲ってほしい、という願望もあるのだが、久々に漫才を見て私が爆笑したので、彼らには間違いなく才能があると信じている。
自慢のようで恐縮だが、私は「笑」についてはかなり敏感で、面白いこと、笑えることについての鑑賞力はかなり高いと自負している。
そんな私に爆笑させたカミナリは、確実に面白いし、M−1も獲れると思う。
余談
YouTubeなどでカミナリの動画を沢山見ているのだが、おそらくまなぶくんはモーホーではないかと思う。
別にこれを言うことでおとしめたいという思いは全くないが、なんとなくそう思った。
ただ単にまなぶくんとたくみくんがめっちゃ仲がいいから、そのように見えたのかもしれない。というのも、二人は保育園のときからの付き合いだからだ。*1
コンビ仲がいい、ということも、売れる要因の一つのように思う。
例えば、爆笑問題はお互いがお互いのことを非常に好いていて、慕っている。
また、明らかに仲が良さそうなコンビの漫才は、見ている側としても非常に気持ちがよく、ほっこりする。
ともあれ、カミナリの今後に大変期待したい。