響く警報、緊迫の朝 北朝鮮ミサイル発射:日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO20492580Z20C17A8CC0000/
愛知県に住んでいる私にはJアラートは関係なかったのだけれど、以上のような文言で注意喚起したのですね。
ここで気になったのは、冒頭の文言だ。
そう、「ミサイル発射。ミサイル発射。」 という文言。
ちょっとこれについて2点、分析したい。
目次
2回繰り返して言うことについて
2回も繰り返して注意喚起を行っているということは、その情報が最も大事であり、かつ冒頭におくことで、真っ先に伝えたいことだからということが分かる。
つまり、重要度と緊急度が最も高いことを表している。
社会人として仕事をしていると、職種にもよるかもしれないが、仕事の量が多岐にわたって、かつ膨大であったりする。
その際は優先順位を付ける必要があるので、 to doリストをマトリクスにする。
つまり重要度と緊急度の2軸で作り、重要かつ緊急なものからこなし、続いて緊急度、続いて重要度、そして最後は最も重要ではなく、かつ緊急ではないものをこなしていくという仕事のこなし方が、最も効率のいいやり方だと私は上司に教わった。
その考えからいくと、今回のJアラートの文言は、ビジネス界での常識とも言える優先順位の付け方をベースに作成していることが分かる。
しかし、別な見方がある。
分かりきっていることを2回も繰り返して言われることは、場合によってはうんざりし、バカにされているような感覚を覚えることがある。
受け手は、発信者に対して以下のような感情を覚える事があるかもしれない。
「ミサイルがきてることは分かったよ。そんな2回も言うな! 2回も言うってことは、ミサイルという脅威によって俺たち日本国民が狼狽し、一時的に知性が下がっているから、『コイツらには2回いって分からせてやらないとダメだな』とでもおもってんのかこのヤロウっっっ!」
と。
いずれにせよ、国民の注意を引きつけることに成功しているので、その意味では「いい」アラートではないだろうか。
単語的フレーズの連呼について
「ミサイル発射しました。」ではなく、「ミサイル発射」という、単語的フレーズは、余計な言葉を排除し、最も伝えたいことを端的に表現しているが、一方でそれはまるで無機的、機械的、記号的でそこには感情、情緒がなく、野暮であり、更に言うと不気味さ、怖さを感じさせるものだ。
身の危険を感じさせる事態が発生したので、文言に人を包み込む優しさを感じさせるような、文学的な表現は必要ないともいえるかもしれないが、このような無機的な表現は返って国民を狼狽させることを悲しいかな、達成させてしまっているのではないだろうか。
それはまるで、太平洋戦争の際の空襲を、体験者には想起せざるを得なくさせ、戦後に生まれた未経験者にはデジャヴを経験させることに。
別な面から見ると、この連呼的注意喚起は、国民の野性的、動物的感性を呼び覚まし、、一人一人が自分自身の生命を守るための本能を発揮させることに喜ぶべきかな、成功しているとも言えるかもしれない。
総括
以上のようにJアラートの冒頭の文言を分析した。
いい点もあり、悪い点もあることが明確となったが、いずれにせよ非常に練られた文言であり、アラートとしての有効性が非常に高いとも言える。
ともあれ、悪いのは北朝鮮なので、今後の日米の対応を見たい。