さっき電話で母親と今後のことについて話していたが、ここでなんとなくわかったことがある。
「何が…?」
それを今から書くよ。ちょい待ちっ。
今後、つまり将来について話したわけだ、母と。
そこでもともと考えていたことを言葉として伝え、「そうなんだ〜」と、相槌を打たれたりして、対話をしたわけだ。
思った。
人間は、どうあっても社会的な動物なんだな、と。
「…え? なんかいきなり哲学的やんけ。。」
そうだよ。
だって僕は大学院で哲学(正確には倫理学。さらにいうとエマニュエル・レヴィナスの責任論)を学んだからさ。
「お、おお。。そっか。。御意御意。」
うん。はい。
あ、で、話が戻るけど、社会的な動物、とはどういうことか?
これはね、言い換えると、人間はどうあっても他の人間〈他者〉と関わって生きていくものだし、特に何と言ってもコミュニケーション(意思疎通)をして初めて、立派な人間として生きていけるのだ、ということだよ。
「…なんだか深い話ですね…。」
そりゃそうさ。
そもそもの初めから浅かったりしたら、この僕が心療内科にいくレベルにまで不調になるもんか。
「…え、キレてるの…? キレてたらなんかごめん。。」
いや、キレてないっすよ。
…こら、長州小力か!ドアフォ!!!!!!
「…何一人芝居してんすか…まじウケるんですけどこの人wwwwwwwwwwww」
こらっ! 草を生やすでぬっ!!!!!
…やれやれ。。
…え、えーっと、何を話していたんでしたっけ…?
「やれやれ、あれですよ、コミュニケーションが何たらかんたら、ってやつでしょ?」
あぁ、そぉだ!
そうなのです、人間はコミュニケーションがどうあっても、どうあっても、どうあっても、どうあっても、どーあっても! …必要なのです。
「やたら強調しますね…」
うん!
人間、というか自己にとって他者はまた自分なんですよ。
自分がもともと考えていたことを他者と話すと、
「…あれ、やっぱり少し違和感あるな…?」
とか、
「…おお、そんな見方もあったか! ナイスなこというやんオメェ!」
と、なったりすることって、ありません?
「あ〜、まぁ、ある時もありますね〜。」
そうなんです。
自分の考えていたことが、他者との対話によって整理再構築され、より強固なものというか、より『自分が本当に求めていたもの』に近づくのです。
「なるほどね、だから今回オレが登場したってわけね。ふんふん。」
そうなのです。
…って、あんた誰…?
「…えっ……?(笑) いつもそばにいるじゃないですか(笑)」
…えっ………????
続く。