久々にヒトリノ夜なので、HDDに入っている、古い番組を見た。
それは、ETVでやってた、青春リアル。
ほとんどの方は知らないと思うが、これは実際に会うことはない10代から20代後半の若者9人が、ネット上の掲示板で集い、それぞれがトピックを出し合って議論(あるいはおしゃべり)をする番組である。
今は、立て続けに3本みた。
1.「外資系に勤めていることは、日本への『裏切り』になりますか?」
2.「私はなぜ、毎日コンビニに行ってしまうのだろう?」
3.「ぼくはどうして大学に友達がいないんだろう?」
というもの。
1はおそらくGoogle社員であろう男性ので、
2はおそらく山崎製パン社員であろう女性の悩みで、
3は、おそらく神奈川大学あたりの学生であろう男性の悩みである。
なぜそれがわかるかというと、VTRで、それとわかるロゴや商品が、ぼかされているわけでもなく、自然に写り込んでいるからである。
ここに、NHKの公平性、公共性が、ある。
民放ではこの明白性は決して、実現することはできない。
伊藤園が提供している番組の出演者が十六茶を飲むとき、必ずボカすだろう、間違いなく。
あるいはその逆は寧ろ励行するだろう。
例えば、番組内で自然に(時に不自然に)商品を登場させるプロダクト・プレースメントは、日常茶飯事に違いない。
(映画『たいようのうた』では、露骨なまでにポカリスエットの自販機が、YUIと塚本さんの隣に立っていた。)
そう考えると、民放は時に「洗脳的」とも考えられないだろうか?
やはり価値あるもの、本当に欲しい情報、あるいは楽しめ、かつ後世にもお勧めしたいもの、コンテンツというのは、こちらから主体的に「身銭を切って」いかないと得らことができないのだな、と、青春リアルという番組を見て思ったのだ。