最近、内田樹師匠が出演しているラジオを聴く機会があり、そこで「街場の憂国論」の話をしていた。
憂国。
内田氏が言うには、国家の舵取りをしている人間は上位1パーセントの富裕層で、
その層は海外に人脈や別荘を持ったりと、非常に機動性が高く、最悪この日本が潰れても生きていける、と言う人たちであり、
そんな人たちが、のこり99パーセントの、日本の地に根付いて、日本語を話し、日本人と交流し、つまり日本でしか生きられない人々を支配していることは、これおかしいことであり、
これは国家解体の危機とまで言い切っている。
しかし、そんな上位1パーセントの人々も、のこり99パーセントの人たちが作る農作物、つまり衣食住がなければ生きてはいけない。
そのため、記号的な生き方をしている(株価、人件費、粗利などを常に意識している)1パーセントの人々も、最終的には日本の大地に根ざした99パーセントの人たちが作るものに依存せざるを得ず、
またその日本の大地に根ざした人たちこそが、歴史上新たな文化ーーー鎌倉仏教や歌舞伎などーーーを作り出していった、という。
そのような話をするなかで、内田氏はぽろっと
「国破れて山河あり」といった。
そう、杜甫の春望である。
私はこの詩が大好きで、暗唱してるので、いかに書き記す。
春望 杜甫
国破れて山河あり
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を注ぎ
別れを恨みては鳥にも心を脅かす
烽火 三月を連なり
家書、万金にあたる
白頭書けばさらに短く
すべて針にたえざらんとほっす
内田氏はぽろっと「国破れて山河あり」といったのは、国是として経済発展をかかげ、実際めざましき経済成長している国は、リビアやシエラレオネなどといった、内戦明けの国であるのだ、
という文脈の中でのべ、経済発展を目指すところは国は破れるところにあるよ、ということをいっているのだ。
しかし「国破れて山河あり」なので、最終的には99パーセントの人たちがそれを拠り所としている山河が、強い、ということだ。
さて、この春望。話は変わるが、私はこの詩のいいところは、最後の4文にあると考えている。
つまり、
烽火、三月を連なり
家書 万金にあたる
ということで、戦争はずっと続いて、家からの便りもこない。だから以前に来た便りこそが、今のひどい状況を慰めてくれる唯一のものだ、
と、強いメッセージをのこしておきながら、最後、
白頭かけばさらに短く
すべて針にたえざらんとほっす
と、自分の髪のなさをなげく、という、割とどうでもいいこと、くだらないことをのべ、
見事な対比を成していることが、いい、と。
………古典から学ぶことは多い。