よく行くコンビニで、店長さん(正確にはオーナー)に接客されることが良くある。
私はコンビニでも常にクレジット払いなのだが、その店長さんに2回目に接客された時に、私がクレジットを出す前に、
「お支払いはクレジットで?」
と、聞かれた。
このホスピタリティーには感服した。
ため息すらついた。。
店長さんは僕を記憶していただけでなく、客が支払い手段を言い出す前に、先手を打って、客に伺っているその姿勢、そのホスピタリティー。
これはまず「Life to live」なアルバイト店員にはできないことだ。
「Life to live」。
つまり「生きるための生活」(不定詞の形容詞的用法)といったスタイルでアルバイトをする店員には、そこまで「他者のために」(pour autrui)(仏哲学者、E.レヴィナスの鍵語)をすることはできない。
(だってめんどくさいもん。それしなくても給料は発生するし。言われたことやってればいいだけだし。楽だし。みたいな。)
しかし、「Life to survive」、つまり「生き『残る』ための生活」をしている店長さんは、アルバイト店員と同じ思想を持つことはできない。
競争に勝ち、生き残らなければ、明日の食料すら得られない、という様な一つの『飢餓感』『ハングリー精神』が、店長さんにはある(と思う)。
生き残るためには、他者からの評価、更に踏み込んで、他者を「感動」させる必要が出てくる。
そうして評価、評判が高まり、リピーターが増えていき、永続的繁栄にいつかは到達する。
私はその店長さんには「感動」した。
上記したエピソードに加えることがある。
そのコンビニはサークルKで、そこで私はとり天を買ったのだが、その時もまた店長さんだった。
その店長さんはこう、私に言った。
「(商品を見て)…ちょっと温めましょうか?」
と。
私はその時、マニュアルの遥か外の、人と人との生成的コミュニケーションに立ち会った感があった。
つまり、店員から機械的マニュアル言語をかけられるのでなく、人間的生成コミュニケーション現場に居合わせた感があった。
どうしてそんな感情に包まれたのか。
それは「ちょっと」という副詞にある。
「ちょっと温める」というのは、私はついぞ聞いたことがない。
それゆえに、そこにまず意外性を感じた。
そして、「ちょっと」というのは、何を隠そう、私がとり天に抱いていた気持ちである。
正直、私は
「このとり天…ちょっと温めて欲しいかもな〜…」
と思って、レジに行ったのだから。
そして、店長さんは、「ちょっと温めましょうか?」とおっしゃった。
完全に心を読まれた感があった。
「ちょっと」という、この、如何にも日本的な曖昧な感情というか、大和言葉。
それをまさかコンビニのレジで思い知るとは。
学びは多い。
松下幸之助は、
「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。
(中略)
どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、自然の摂理、宇宙の理法が密かに脈づいているのである。
これらのすべてに学びたい。」
と言った。
これからも人々が見逃し、流していく様なevery little thingに注目して参りたい。

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