
住まいの名古屋を出、今は東京である。
それにしても、東京は人が多すぎる。
人。
関東人、関西人、東海人、東北人、九州人、四国人、北陸人、或いは外国人、
が、多い、という印象。
特に。東京駅の地下街、グランスタに潜った瞬間、ゾッとした。
殺人的な(この形容の仕方は合ってる、と自負する)人の往来で、めまいがした。
そして私は思った。
「人は、人が多すぎるところにいてはいけない。」
と。
理由は3点ある。
一つには、人々はみんなあらゆる方向に進むため、それが一個人にとってはめまぐるしく変化する、一つの「四次元的(そのとき、その瞬間しかない)映像」となり、それが一個人を混乱させ、めまいを起こさせるものとなるからだ。
二つには、人々は一個人の「私」には見向きもしない。
つまり、人がたくさんいるのにもかかわらず、「孤独」を感じざるをえないからだ。
三木清の言葉に、
孤独は山にあるのではなく、街にある。ひとりの中にあるのではなく、大勢の人のあいだにある。
というのがある。
三木の言葉は、現代の日本においても、大きく共鳴を呼ぶものであろう。
三つに、人がたくさんいるという空間は、何か霊的に「よくない」ことが起こりそうな気がするからだ。
これはしかし、アルテマ(このBlogの筆者)の主観である。
これについてはどうもうまく言えず、何となく、なんか、、う〜ん、、よく、、ない、、気がするんだよなぁ。。。。人混みにずっととどまっているというのは。。。
という、全く整理できない気持ちが、私の中で有るのだ。人混みにたいして。
ゆえに、「霊的に」という表現を用いた。
ただ、もちろんテーマパークや夏フェス等の人混みを否定するものではない。
その人混みに「目的」或いは「愉快さ」があれば、その人混みは、『意味』をなすものだろう。