今日もいろいろとミスをやらかして、課長のお二人からありがたいお説教を頂戴した。
もちろんミスをしようとしてミスをしているわけではないが、どうも私は他の新人と比してミスが多いかな…と自覚している。
他の新人が学部卒ストレートである一方、私は院卒プラス一浪一留で4歳も年が上なのにも関わらず、このていたらくである。
やれやれ、情けないものだ。
…と、客観的には思うが、しかし主観的にはこれは一つの「誇り」であると考えている。
叱られることが多い、ということは、それつまり「お前はもっともっと成長するよ」という激励の裏返しである。
ゆえに「まだ先は長いよ」(『高架線』/ELLEGARDEN)ということだ。
これは自分にとっては絶対的な希望である。
人生は長期戦だ。
1年後、3年後、5年後、10年後、15年後、20年後、30年後、50年後、そして99年後*1に自分はどうなっているかが毎日愉しみでしようがなく、そこがいわば私の生きる意味意義である。
話を「私がよく叱られること」に戻すが、その要因ははっきりしている。
私が「頑固」かつ「自分勝手」すぎて上司の言うことを100%飲み込まないからだ。
全く飲み込まない訳ではないが、それが100%でない。
つまり「言われたことを確実にそのまま」しないで、どこかちょっと自分なりの工夫応用をついつい、どうしてもしてしまう『遊び心』があるのだ。
ゆえに上司からよく叱られるのだが、自分自身としては「現場」を、つまり私の生業でいうところの授業、講義をすることを、私は他の新人の誰よりも、或いは自社の全社員よりも愉しんでいると思う。
この『愉しむ』ことにおいては、他の誰にも負けない自信がある。
孔子は、
「あることを知っている(だけの)人はそれを好きな人に及ばない。それを好き(なだけ)のひとは、それを愉しんでいる人には及ばない」
といっている。
また、佐藤一斎も、
「自分が感動して初めて、人を動かすことができる」
といっている。
まだまだ授業スキル面で至らないところが多いが、私はこの二者の言葉を心から信じて、これからも教師という仕事に邁進してゆきたく思ふ。