今日という日は毎週末にある研修についての私の心構えについて、上長から叱責を頂戴した。
「なんでそんな準備不足で研修者に見てもらおうという考えなの? それに来週授業する箇所把握してて当たり前でしょ? なんでもっと相談というものをしないの? 研修なめてるの??」
と。
やれやれ。
もちろん私は研修はなめてはいない。
ただ、目の前の授業をともかく無事にやることに精一杯で、一週間先についての自分の授業箇所については詳しくは把握してなかったのは間違いない。
つまり、私には「余裕」がなかったと自己反省している。
ぶっちゃけたこというと、タイムカードを押して出勤して、またタイムカードを押して退勤するまでが「仕事」という認識しかなく、プラスアルファの自助努力や配慮が全く足りてなかったことが今回の叱責の要因だったと振り返る。
なぜ、こうなってしまったのか。
思うに、今の自分の状況は飽くまで会社員という立場を意識しすぎているところがある。
つまり、どこかしら「やらされてる感」を感じていてしまうから、「仕事以外での仕事」をしようとしないのかな?と、自己分析する。
そういえば「起業家のように企業で働く」という本があった。
明日は休みなので、この本を読んで、自分の仕事に対する向き合い方を見直してみようかと思う。
ただ、根底のところは楽天主義というか、ものすごく楽観視している。
もちろん行き過ぎは良くないし、中庸が最善なのであるが、
「まぁ、一つ一つ注意していけば、なんとかなるっしょ!」
という意識が根底にある。
極端なこと言うと、私は、あらゆる困難苦難はノリとテンションで乗り越えられる、と考えている。
正直申し上げて、今までの受験やアルバイト、就活、そして4月の初仕事は、もちろんスキルや工夫も支えとなったが、根本のところはノリとテンションである。
つまり、楽しいかどうかということ。
いや、正確に言うと、「いかに『その状況』を楽しめるか、楽しいと思えるかどうか」というところだ。
「之を知る者は之を好む者にしかず。之を好む者は之を楽しむ者にしかず。」(これ(←なんでもいい。勉強でも仕事でも)を知っている者はこれを好きな者に及ばないが、これを好きな者はこれを実際楽しんでやっている者には及ばない)
と言っている。
私は論語が大好きで、その中でもこの章句が特に好きで、読む度に興奮する。
如何なる状況下、例えば日々の仕事ばかりか、トイレ掃除や車の運転で右折するときにでさえも「それを楽しいと思えるかどうか」が、極端な話、人生の最大の鍵ではないかと私は信じている。
長くなって申し訳ない。
ともあれ、今後も人生ノリとテンションで、あらゆる七難八苦を乗り越えていくぞ、という思いである。

- 作者: 小杉俊哉
- 出版社/メーカー: クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
- 発売日: 2013/10/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (3件) を見る