免許証の住所変更のため、クルマに乗って警察署に向かう道中、ラジオから黒木渚というアーティストの「虎視眈々と淡々と」という楽曲が流れてきた。
この曲、初めて聴いたのだが、初見(初聴)で
『ぶるっ』
ときてしまった。
メロディー・ラインにももちろん感動したのだが、「からだひとつ おんなひとり」であるとか、「のぞみひとつ じぶんひとり」という歌詞がこれあまりにも素晴らしいと思わずにいられなかった。その等身大な感じの、或いは人生についてのある種の覚悟や謙虚さが、そこにまみえるようで。
自分自身にとってこれらの楽曲は、本当に「特別な」ものである。
これらの楽曲には、ただ「いい曲」という範疇を遥かに飛び越え、それはまるで「その曲によって自分は今まで育てられてきた」感すらある。
こういった「初聴で『ぶるっ』」とくる楽曲というのは、ひとつのエヴァンゲリオン(福音)的なるものではないかと思われてならない。
なんというか、天からの贈り物というか。
或いは『ぶるっ』てくることを踏み込んで分析してみると、それは例えば「自分という人間は、この楽曲に出会うためにうまれてきたのではないか」という先駆的直観が、『ぶるっ』というかたちで身体に現れるのではないだろうか。
村上龍氏の言葉に、
「世界に対してオープンになっていれば、『いつか出会う』。」
というのがある。
何に出会うのかということについて、村上龍氏は触れてはいないが、おそらくそれはいわば「自分が人間として生まれた意味を見出してくれるもの」ではないかと私は思う。
これからも「出会い」続けたい。