
地元仙台のアーケード「クリス・ロード」を歩いていたら、昔からあるミスドがイメチェンしていた。
まるでスタバである。
ドーナツ屋さんっぽさを脱し、アメリカの西海岸のカッフェのようだ。
このミスドの隣の隣の隣あたりにスタバがあるのだが、そこを通り過ぎた際、私の後ろを歩いていたと思われる若い女性が、
「あ、スタバだスタバ。」
と、友人と思われる女性に言っていたことが大変印象に残っている。
これ、ミスドでは起こりえない現象ではないだろうか。
スタバには「格」がある。
もちろんミスドも美味しいし、お店の雰囲気もいい。
しかし、ミスドになくてスタバにあるもの、それは「格」である。
格。
それがあるからこそ、女性たちはスタバを見つけた際、「スタバ」と口に出さずにいられなかったのではないだろうか。
道を歩いていて、ある対象が目に入った際、それについてわざわざ口に出して友人の注意を喚起するということは、その対象になにか強く引きつけられるものに限られると思う。
その新奇性であったり、非日常的なものであったり、格の高いものであったり。
そう考えると、スタバには「何か特別なもの」があるのだ。
しかし、それはなんだかうまくいえない。
でも、好き。
「スタバが大成功しているから、自分ところもスタバっぽくしよう!」
とおもうのは、どうも姑息な(一時しのぎな)感がある。
短期的には、ひょっとしたら営業利益もあがるかも知れないが、中長期的視座でみると、どうなのだろうか。
スタバが成功しているのは、徹底的に「スタバらしい」からではないだろうか。
つまり、「らしさ」「独自性」「他にはないモノ、サービス」があるからこそ、なのではないかと思う。
個人的にミスドには無理しておしゃれにならなくても大丈夫なので、今までのように、古き良きミスド的な、アット・ホームな、入りやすい、長居しやすい、明るく元気な店員さんのいるお店づくりにしていただけないかな、と思った。
*1:そのようなつもりはないかもしれないが、そう仮説を立てて推論をすすめる。